文天周辺商工会 2014ver. BUNTENMALL 会員相互の連帯と「輪」をひろげていこう I will widen a solidarity and "the ring" of member aspect each other |
TOPへ | まなびやぶんてんTOPに戻る |
![]() |
まなびや ぶんてん 我が町天川原町の変遷 |
![]() |
◆我が町天川原町の変遷◆ 私たちの住んでいる町は、どのような変遷を経て現在に至っているのか、歴史のひもを解いてみましょう。江戸時代の絵図に上野国群馬郡天川原村(コウズケノクニ グンマグン アマガワハラムラ)と載っています。そのころまで「まやはし」と呼ばれ、厩橋とか前橋とかと表記されていた地名が、幕府の地名統一の必要から1649年に正式に「前橋」とされ、前橋藩(天川原村の取れ高何百石かを含む3万3千石・当初)が、明治4年の廃藩置県で前橋県になるまで続きます。 ちょっとその前に群馬県の変遷を見てみましょう。
以上のように、昔は広範囲の地域が天川原町でした。明治になってからも現在の前橋税務署の東側あたりから、前橋駅近く、旧ダイハツ車体も含め天川原でした。昭和40年代頃までは田園風景が広がり、前橋商高から7中まで見渡せたそうです。この地域が急速に発達したのは、ここ3〜40年前からです。明治初期の人口は、17軒97名で、現在hは750世帯、「2300名です」 |